横塚 裕多加

副会長 金工 横塚 裕多加 Yutaka Yokotsuka

金工・江戸鉄瓶
横塚 裕多加

公式HP:http://edotetubinn.sakura.ne.jp/
オンラインショップ:https://www.iichi.com/shop/edotetubinn
Instagram:https://www.instagram.com/edotetubinn/

【工芸者略歴】
昭和34年 江戸川区小松川生まれ
昭和53年 家業である(株)小松川鋳造所入社
      手込一点ものの硝子金型用鋳物の製造に携わる。
平成23年 第39回 川口市美術展 議長賞 受賞
平成24年 埼玉県芸術文化財2012
      第62回県展 入選
平成28年 第33回江戸川伝統工芸展 教育委員会賞 受賞
平成30年 第35回江戸川伝統工芸展 教育委員会賞 受賞

【工芸者より】
前回の東京オリンピック聖火台製作者である、埼玉県川口市の鋳物師 故 鈴木文吾先生の一番弟子である岸 洋先生が私の師匠です。
岸先生は現在も川口鋳金工芸研究会にて多くの生徒を指導し、工芸鋳物の伝承に尽力されています。
鈴木文吾先生の亡き後に、岸先生の言葉が新聞に載りました

「湯から立ち上がる空気で温度を知り、砂と粘土の混ぜ具合は手触りで決めた。勘、経験、心意気、すべての面で本当の職人。最後の惣型技法の継承者だろう。」(2008年8月5日 読売新聞 夕刊 追悼抄より)

いまだ足もとにも及びませんが、この言葉のような鋳物師が私の目標です。

趣味は
・囲碁(江戸川囲碁連盟 さくら囲碁会所属 棋力 初段)
・メダカ飼育(現在約100匹飼育中)

【金属工芸(金工)のお話】

金属工芸は大きく分けて3つに分類されます。
1)鍛金(たんきん)・・・金属を打ち延ばしたり、縮めたりして作品を作る技法
2)彫金(ちょうきん)・・・タガネを用いて、金属に文字や図柄を彫り成型する技法
3)鋳金(ちゅうきん)・・・制作するものと同じ形の空間を持つ鋳型に、溶けた金属を流し込んで制作する技法

鋳金の歴史は古く、紀元前3500年頃までさかのぼります。
古代文明が花開いたメソポタミア地方(現在のイラクを中心とする地域)で興りました。
我が国には、中国・朝鮮半島を経由して、弥生時代頃に伝わったといわれています。

【江戸(東京)の鋳物師の歴史】
江戸の鋳物の歴史は、太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門が辻村(現在の滋賀県)より寛永17年(1640年)に江戸芝田町(現在の東京都港区)に移り住み、のちに深川(現江東区)に移り住んだのが始まりです。
享保2年(1717年)には江戸幕府の「御成先鍋釜御用」を命じられ、江戸の鋳物師として知られるようになりました。
釜六は明治時代まで、釜七は大正時代まで、代々盛大に鋳物業を続け、代表的な作品は像高2メートル以上に及ぶ回向院(墨田区両国)の阿弥陀如来像、浅草寺(台東区浅草)の時の鐘と呼ばれる梵鐘などがあります。

【鋳造とは】
上の画像は、狩りで使う為の弓矢の鏃(やじり)の鋳造工程を例にしたものですが、今も昔と変わらぬ方法で制作されます。
作りたい形と同じ模型を粘土の表面に押し付けて鋳型を作ります。
乾燥した鋳型に、溶けた金属を流し込む為の湯口を切り付けます。
湯口から溶けた金属を流し込み、冷めるのを待ってから型をばらして鋳物を取り出します。

鋳金の技術として、
・型の隅々までスムーズに金属が流れるように導く技術(鋳造方案)
・その鋳型を作る技術(造形技術)
・金属を溶かし、鋳型に鋳込む技術(溶解、鋳込み)
・溶鉄の状態、温度を見極める技術
などがあります。

街中にあるものや、身近にみられる鋳物としては、
古銭・だるまストーブ、大仏や銅像、大きな建築物の鉄門や家庭の鉄扉、マンホール、オリンピックの聖火台・・・長い歴史の中で、鋳物はいつの時代も人々から求められるものを制作する、重要な役割を果たしてきました。その技術が今日まで受け継がれています。

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工房名:江戸鉄瓶工房 (株)小松川鋳造所
所在地:〒132-0034 東京都江戸川区小松川3-1-1
電話&FAX:03-3685-0039
mail:edotetubinn@yahoo.co.jp

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【以下については、工芸者に直接お問い合わせください】
直接オーダー:不可
仕事場の見学:不可
体験の実施:不可